愛西市寺院 稲葉町西光寺公式ホームページ

愛知県愛西市稲葉町西光寺の公式ホームページ

はじめに

  浄土真宗 真宗大谷派 東本願寺 愛西市西光寺(さいこうじ)の公式ホームページへようこそ。
  当寺院は、愛知県愛西市稲葉町にある真宗大谷派(東本願寺)のお寺です。
現在、この西光寺公式ホームページを、順次作成しております。


西光寺の写真

住職の挨拶

 西光寺のホームページへようこそ、おいでくださいました。
当寺院は、愛知県の西部の愛西市稲葉町にあり、700年以上の歴史を有する、真宗大谷派(東本願寺)の寺院です。
 一般的にお寺は敷居が高いと思われるかも知れませんが、お寺が身近に感じていただけるように、また西光寺のことを少しでも知っていただけるように、このホームページを作成しました。また西光寺ではホームページだけでなく、仏教の教えや、仏教に関する言葉などで心に残るものをお寺に来なくても触れることができるように、道路側に大きな掲示板(1.5m×1.5m)を作りました。おおよそ1か月ごとに内容を更新しています。文字数は1行が6文字の4行ですので、最大で24文字ですが、心に響く言葉は、短い言葉の中に存在するものと思います。
 このホームページにも順次、親鸞聖人のみ教えなど仏教に関することを追加していきたいと思っています。また、より見やすいホームページにしていきたいとも思っています。温かくお見守りいただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。

交通案内(アクセス・マップ)

西光寺へのアクセスは、下記のリンクを参照してください。

西光寺への交通案内(アクセス・マップ)

県道105号富島津島線沿い
愛西市市役所 東300メートル
愛西市図書館 東400メートル
名鉄尾西線 日比野駅 南1500メートル

県道105号富島津島線側に駐車場がありますので、県道側から入れます。

西光寺の写真

歴史

当寺院、西光寺は元天台宗で諦善法師(?~文永9年(1272年))が創立し、その頃より聖徳太子立像(塑造=口伝では天台宗開宗の伝教大師作)を安置している。後に法順が浄土真宗に改宗した。もともとは、美濃国海西郡幡長村(現在の岐阜県海津市平田町幡長)という所にあった。その後、尾張国中島郡三宅村(現在の愛知県稲沢市平和町中三宅)に移り、当時の領主橋本伊賀守の菩提所であった。法順法師が改宗した頃、現在地に移ったと伝えられている。 また、「尾張藩二代藩主光友公(瑞竜院)の﨟女として真巌院殿(五代の五郎太様)を傅育していた者がこの寺へ嫁して来た。その縁故で、尾州侯から特別に永世社寺奉行直達の由緒及び提灯、幕に丸八の御紋を許可された。三つ葉葵の御紋付の聖徳太子厨子など多数ご下賜されたが、今は数点があるだけである。その後、九条輔実公の家老石井兵部権少輔の息女がお輿入れによって、九条家から数多くの寄付があったが、公共事業の資として売り払われたり、明治九年の伊勢暴徒の火災によって焼失し残ったものは僅かになった。」とも記されている。

西光寺の歴史


サイト・マップ



【親鸞聖人の著作】
  「顕浄土真実教行証文類」(「教行信証」)、
  「浄土和讃」、「高僧和讃」、「正像末和讃」、
  「浄土文類聚鈔」、「愚禿鈔」、「入出二門偈」、「五会法事讃略抄」、
  「如来二種回向文」、「弥陀如来名号徳」、「三経往生文類」、「尊号真像銘文」、
  「一念多念証文」、「唯信鈔文意」、「親鸞聖人御消息」
【正依の経典・お経】仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観経)、仏説阿弥陀経(小経)
【仏教とは】紀元前6世紀ごろお釈迦さまによって説かれた仏になるための教え。人生は苦であるということ(四苦八苦)から出発して八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教のひとつ。
【浄土真宗とは】鎌倉時代の初めに法然上人の弟子の親鸞聖人によって開かれた浄土教の一派。阿弥陀仏の浄土に生れて悟りを開くことを目的とし、阿弥陀仏の力で救われる絶対他力により信心だけで往生できるとする。真宗とも称し,一向宗,門徒宗などとも呼ばれる。
【真宗十派とは】真宗大谷派(東本願寺)、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真宗高田派、真宗佛光寺派、真宗興正派、真宗木辺派、真宗出雲路派、真宗誠照寺派、真宗三門徒派、真宗山元派
【寺院とは】仏閣、僧院ともいう。一般的には仏教において、仏像を安置し僧侶などが住み、仏道の研究や布教活動のための修行や儀式を行う場として用いる建物を指す。日本では、古くは山の中に僧侶の修行の場として寺院が建てられたが、のちにお寺は人々の住む町の中につくられ、城下町にも寺院が造られた。江戸時代には、キリスト教を禁止するため、人々はいずれかの寺院に属さなければならないとする檀家(だんか)制度ができお寺は身近なものとなった。
【お墓の歴史】現代のような墓石を使ったお墓が建てられ始めたのは江戸時代の元禄年間の頃である。ただ当時は権力者などが中心で一般の人々には縁遠いものでした。一般の人々がお墓を建てられるようになったのは、昭和の初期から戦後高度経済成長で人々が豊かになってからだと言われている。最近ではお墓の代わりに納骨堂や自然葬(散骨、樹木葬、海洋葬)なども見られる。
【納骨堂の歴史】納骨堂の歴史は古く奈良時代に発掘されたものの中にはも見受けられます。当時は霊廟と言われ、墓石が江戸時代に誕生したのに比べ納骨堂の歴史はとても永く続いています。
【葬儀・葬式の歴史】葬儀の歴史は古く、縄文時代の遺跡にはもう埋葬の形跡があり、腕を曲げて体を負った状態で葬られた屈葬が発見されています。日本では仏教葬儀で火葬が主流になっていますが、7世紀以前の仏教が伝来する前は土葬が当たり前であったようです。